収束の兆しが見えない伊東市・田久保真紀市長の学歴詐称問題。
問題の核ともいえる、田久保市長の『卒業証書らしきもの』は公表されそうにない中、
他に何か突破口はないか、気になる方も多いかと思います。
今回は、
✔田久保真紀市長は留年していた?本人の認識は?
✔田久保真紀市長は卒論を書いた?
✔東洋大学の進級要件や卒業要件は?
これらを詳しく調査しました。
田久保真紀市長は留年していた?

田久保真紀市長は大学時代に留年はしていなかったのか、情報を集めました。
留年の確定情報はなし
巷では、「田久保市長は留年していた」という噂がありますが、確定した情報はありません。
噂の出どころは、伊東市に匿名で寄せられた文書(いわゆる告発文)で、
「単位不足で3年生に進級できなかった」という内容だったと報じられています。
ですが、匿名の文書であり、事実かどうかは分かっていません。
留年の認識はなさそう!?
市長自身は
「自分は卒業したものと思っていた」
「除籍の連絡に気づかなかった可能性がある」
と語っており、少なくとも公の場では自身が留年や除籍に陥った自覚はなかったと主張しています。
当時は携帯電話やメールが普及しておらず、円滑に連絡を受け取れなかった時代背景も影響しているのかもしれません。
勤勉な学生ではなかったと認めている

田久保市長は、7月3日の記者会見で東洋大学の「除籍」が判明したと発表し、自身の大学生活を次のように明かしていました。
「自由奔放な生活」
「バイクに乗って色んなところに行って、住所不定のような状態」
このことから、真面目に学校に通う学生とは言い難い大学時代だったようです。
必要単位を取得しなければ卒業できないのが大学という場所ですので、単位取得の認識はどのようになっていたのか気になるところです。
【続報】百条委員会にて「私は4年生だった」

田久保市長は、8月13日、出席を拒否し続けていた百条委員会に出席。
次のように話していました。
(Q 1年、2年、3年と順調に進級して、少なくともあなたが卒業する年には、4年生であったと断言できますか?)
田久保市長「私の方で同級生への聞き取りという形で皆に照会しましたが、私が4年生であったということは、まず問題はないだろうということ。」
卒業の時期には4年生であったことをほぼ明言した形です。
「在籍年数=学年」というシステム?

また、東洋大学のシステムについて次のようにも語っていました。
田久保市長
「4年生、5年生、6年生、7年生というふうに大学のシステムはなっているということですので、私自体は4年間在籍をしていたのであれば、最終的には4年生であった、そのように考えます。」
静岡朝日テレビ
大学といえば、必要単位を取得して次の学年に進級できるというのが一般的な認識かと思いますが、
当時の東洋大学法学部は、進級要件に関係なく、大学の在籍年数によって4年生、5年生、6年生、7年生と呼んでいたということでしょうか。
これが正式な大学のシステムなのか、学生同士の単なる『呼称』なのか、よく分かっていません。
田久保真紀市長は卒論を書いた?

田久保真紀市長が東洋大学在籍時に「卒業論文(卒論)」を書いたかについては、発言が確認できませんでした。
ですが、大学卒業と言えば卒論のイメージがある一方で、卒論が必須ではない大学も多くあります。
東洋大学法学部でも、卒論が必修科目ではないため、在学し一定の単位を取得すれば卒論を書かずに卒業する学生も実際に存在するようです。
東洋大学の進級要件や卒業要件は?

最後に、東洋大学法学部の進級や卒業の要件を調査しました。
東洋大学法学部の進級要件や卒業要件は比較的厳格に定められており、特に3年進級時や卒業時に所定単位数の取得が必須と言われています。
進級には、各学年ごとに定められた単位数と指定必修・選択必修科目を履修・合格していることが求められます。
仮に単位不足の場合は進級(次年度への進行)を認められず、原級(留年)となります。
4年次では卒業までに
「卒業充足単位124単位以上」
「在学年限4年以上」
「全必修・指定科目の修得」
なお、最大在学可能年数は8年(休学期間除く)とされ、規定期間内に卒業に必要な条件を満たすことが求められます。