現在、学歴詐称疑惑を巡る百条委員会での追及など、その動向が連日注目されている静岡県伊東市長、田久保真紀さん。
メディアの報道では、疑惑の核心や政治的な側面が強調されがちですが、
一人の人間としての田久保さんの「生い立ち」に焦点を当てることで、その異色のキャリアや現在の姿を形作った背景が見えてくるかもしれません。
一体、どのような道のりを経て、田久保さんは地方都市のトップに上り詰めたのでしょうか。
✔田久保真紀氏の家族構成(両親・兄弟姉妹は?)
✔田久保真紀氏の生い立ち(父との死別と母子家庭)
✔自由奔放な学生時代
✔インドアとアウトドアが共存する多趣味な性格
最後まで是非ご覧ください。
【田久保真紀の家族構成】両親・兄弟姉妹は?

まずは、田久保真紀さんの家族構成について調査しました。
母娘の二人暮らし
田久保真紀さんが10歳で父親を亡くした後、田久保さんは母親との二人暮らしになったとされています。
女手一つで家庭を支える母親の姿は、幼い田久保さんに自立心と責任感を強く意識させたのではないでしょうか。
お母さんの誕生日祝いや母娘でのお出かけのSNS投稿を拝見するに、お母さんとの結びつきはとても強いように見えます。
一人っ子か

現在のところ、田久保真紀さんに兄弟姉妹がいるという公式な情報や報道は見当たりません。
週刊誌報道では、
お父さんが早くに亡くなって、母娘二人三脚で生きてきた。とても愛されて育った方というのは間違いない。
NEWSポストセブン
このような話もあり、兄弟姉妹はなく一人っ子だった可能性があります。
もし一人っ子ならば、幼くして父親を亡くした家庭環境の中で、母親との絆はより一層深いものだったでしょう。
一人で多くのことを乗り越えてきた田久保さんの、芯の強さの一端がここに垣間見える気がします。
【田久保真紀の生い立ち】10歳で父と死別

田久保真紀さんの人生を語る上で、幼少期の重要な転換点となったのが、10歳での父親との死別と思われます。
病気で亡くなる
田久保さんの父親は、田久保さんが10歳の時に病気で亡くなったと報じられています。
病名や闘病期間などの詳細はオープンにされていません。
薔薇を育てる父との幸せな幼少期
普通の家庭で小さなマンションの庭だったけど父が薔薇を育てて、知人の先生からクラッシックやバロック音楽習ったり、本も好きなだけ読ませて貰って幸運な幼年期だった。
田久保まき 公式X
父親が生前、自宅で薔薇を育てていたというエピソードが伝えられています。
このささやかな情報は、父親が愛情深く、穏やかな人物であったことを示唆しているのかもしれません。
本も好きなだけ読ませてもらえ、音楽も習い…比較的余裕のある暮らしをされていたように推測されます。
SNSでは語られていないお父さんとの素敵な思い出がたくさんありそうですね。
【田久保真紀の生い立ち】母子家庭で母娘二人暮らし

父親を亡くした後、田久保真紀さんは母親との母子家庭として生活を送ることになります。
この母子家庭での経験は、田久保さんの経済観念や自立心を強く育んだ時期だと推測されます。
東京の私大に進学できる経済状況
母子家庭でありながら、田久保さんが高校卒業後に東京の私立大学である東洋大学に進学できたことは、特筆すべき点です。
週刊誌報道によると、お母さんは伊東市で不動産業を営んでおり、経済的に厳しい生活ではなかったとの情報があります。
とはいえ、不動産業を自営しながら、娘を東京の大学に送るというのは簡単なことではなかったでしょう。
たくましいお母さんですよね。
高齢の母を支える現在
家族の病院付き添いで今日も県外の総合病院へ。手続きがシステム化されているのだけど、これは介助無しでは検査も受けられないなぁ(次は何番、ここで発券etc) 様子見てると1人じゃ無理😰 遂に私も親の介護突入か⤵︎ いい機会だと思っていろいろ勉強します。
— 伊東市長@田久保まき (@takubomaki) May 2, 2022
田久保さんは市長としての激務をこなしながらも、通院の手伝いなど高齢のお母さんを支えているという情報もあります。
自分を育ててくれた母親への深い感謝が、田久保さんの行動の根底にあるのではないでしょうか。
【田久保真紀の生い立ち】中3で伊東市へ転居

田久保真紀さんの人生において、
父親との死別と並ぶもう一つの大きな転機が、故郷の千葉県船橋市から静岡県伊東市への転居ではないでしょうか。
転居の理由は?
中学3年生という多感な時期に伊東市へ転居した具体的な理由は、公には語られていません。
推測ですが、父親を亡くした後、母親の出身地であったり、親族がいたりといった理由が考えられます。
田久保さんは、中学・高校を伊東市で過ごしました。
付き合いのある親戚はいない?
2023年の伊東市議会議員選挙の際に、次のようなSNS投稿がありました。
団体の組織票も親戚票も無い私は、みなさんひとりひとりの支えが力です
田久保まき 公式X
中学3年時に母娘で伊東市に転居してきたわけですが、
田久保さんの「親戚票はない」という発言から、伊東市には付き合いのあるご親戚がいないのかもしれません。
もしそうであれば、母親と娘だけの二人三脚で、この新しい土地で生活基盤を築いてきたことになります。
このことは、田久保さんが伊東市に思い入れが強い理由の一つかもしれませんね。
【田久保真紀の人物像】自由奔放な大学時代

つぎに、田久保さんを語るうえで欠かせない、東京での大学生活について見てみましょう。
田久保さんの現在の行動力や型にはまらない発想の源泉が、この時期にあるのかもしれません。
大学に行かず「住所不定」?!
東洋大学法学部に在籍していたとされるものの、大学にはあまり通わず、様々なアルバイトに明け暮れていたという話も聞かれます。
学歴に関する記者会見の際には、大学時代の自身の生活について「住所不定のような状態も」と語っていました。
週刊誌報道には、次のようなお母さんの言葉も↓
お母さんがかつて『娘は若い頃、ほんとおてんばで言うことを聞かなくて困っていた。自由気ままな放蕩娘』なんておっしゃることもありましたね。
NEWSポストセブン
ちなみに『放蕩(ほうとう)』とは、
・自分の思うままに振る舞うこと。
・やるべきことをやらず、飲酒や遊びにうつつをぬかすこと。
ツーリングや日本中を旅することに夢中だったとの話もあり、
まさに自分の思うままに自由を謳歌した大学時代だったのかもしれません。
ハードロックバンドのボーカルも
さらに驚くべきは、大学時代にハードロックバンドのボーカルを務めていたという経歴です。
これは、田久保さんの持つ情熱的で表現豊かな一面を示しています。
バンドでボーカルを張れるってなかなかの「陽キャ」ではないかと個人的には思うのですが、
大勢の人の前に立って自己を表現する度胸というのは若い頃からおありだったのでしょうね。
【田久保真紀の人物像】インドアとアウトドアが共存

多岐にわたる経歴を持つ田久保真紀さんですが、その人物像には意外な二面性が共存しているようです。
ゲームと漫画が好きなインドア派
あーあ。またやっちゃった。
— 伊東市長@田久保まき (@takubomaki) April 17, 2024
私の「のんびりと庭をいじりながらカフェをやって憧れの高原ライフを送る」が、さっきまた音を立てて瓦解した気がするわ。
ホントはあんまり先頭立つのは好きじゃないんだがなぁ・・
あ、「ゲームしながらアニメと漫画三昧のインドア人生」のルートでもいいんだけどな…
「ゲームしながらアニメと漫画三昧のインドア人生」のルートでもいいんだけどな…
伊東市議時代の田久保さんのつぶやきですが、インドアな一面が垣間見えますよね。
多忙な政治家でありながら、プライベートではゲームや漫画を好む一面も持ち合わせているといいます。
ゲームやアニメが田久保さんの息抜きであり、心を落ち着ける大切な時間なのかもしれませんね。
趣味は車とバイクでドライブ好き
一方で、バイク便ライダーの職歴を持つことからも分かるように、車やバイクでのドライブを趣味とするアクティブな一面も持っています。
このインドアとアウトドアのバランスが、田久保さんの多面的な魅力を形作っているのかもしれません。